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| もっと知りたい! 「『太平記』と菊」 |
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『太平記』は天皇家が二派に分かれて争った唯一の時代、南北朝期をヴィヴィッドに物語る戦記物として有名である。読本だけではなく「太平記読み」という人々にとっても流布されたというが、史実なのか虚構なのか区別のつかぬところがあるらしい。内容も中国書からの逸話や仏教説話など豊富にちりばめられ、かわったところでは中世に創られた神話さえも挿入されているほどで、『太平記』のなかに「菊」が登場しない訳はなかった。 「・・・滋童と云いける童子を穆王籠愛し給うに依りて、恒に帝の傍に侍けり。或時・・・・・誤て帝の御枕の上をぞ越ける。群臣議して日・・・・ 遠流に処せらるべし・・・・・かの_県(てつけん)(注2)と云深山へぞ流されける。・・・・穆王なお慈童を哀れみ・・・・彼八句の内を分たれて、普門品にある二句の偈をひそかに此文に授させ給て、毎朝十方を一礼して、此文を唱ふべしと迎せられける。・・・慈童もし忘れもやせんずらんと思ければ側なる菊の下葉に此文を書き付けり。其より此菊の葉における下露、僅に落て流るる谷の水に滴るけるが、其水皆天の霊薬と成る。慈童渇に臨で是を飲に、水の味天の甘露の如にして、あたかも百味の珍に勝れり。・・・換骨羽化の仙人となる。是のみならず此谷の流の末を扱で飲ける民三百余家、皆病即消滅して不老不死の上寿を保てり。」 「・・・・其後時代推移して、八百余年まで慈童猶少年の貌有て、更に衰老の姿なし。魏の文帝(注3)の時、彭祖(ほうそ)(注4)と名を変えて、此術を文帝に授奉る。文帝是を受けて菊花の盃を伝えて、万年の寿をなさる。今の重陽の宴是也。」 このように『太平記』の記述は荒唐無稽にも思えるがその裏付けはあるのだ。『太平記』の作者は元の資料を面白く脚色しながら中国書にはない慈童を創り出してしまった。そして『太平記』と慈童はのちに菊慈童や枕慈童へと変容していく。
(参考文献)
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